
先日、母は他の患者さんといっしょに、近くの公園まで、お散歩に連れて行ってもらいました。母にとっては、久しぶりの外出です。6月のすがすがしい空気に触れて、どんなに楽しかったことでしょう。その時写してもらった写真を見ると、車いすに座って麦わら帽子をかぶって、暖かい日差しの中で母はうれしそうに笑っています。
本来なら、家族であるわたしが連れて行ってあげるべきなのでしょうが、二足のわらじ(市議会議員と飲食店経営)を履き始めたばかりのわたしは、二つを両立することで精一杯で、まだまだゆとりがありません。そんな家族の至らないところをたくさんの医療従事者の方が支えてくれています。
私たち一般人が医療従事者といって最初に思いうかべるのは、まずは医師、看護師かもしれませんが、その他にも、理学療養士、各種技師、そして看護助手などがあります。
看護助手は、文字のとおり「看護師の助手をする人」です。本来なら、患者のお世話は、全て看護師がしなければならないことになっているそうですが、ご存知のとおり看護師たちは医者の指示を確実に実行するためにほんとうに忙しく、患者のもろもろのお世話になかなか手が回らないのが実態です。
そんな時に看護助手が、患者のおむつの取り替え、排泄介助、食事介助、入浴介助などをしてくれています。時には、そういった介助をとおして、患者の心のケアさえもしてくれます。在宅で介護をしていたら家族がしなければならないようなことを、家族に代ってしてくれているのです。
ある日、わたしに看護助手さんから電話がかかってきました。済まなそうな声で、「お忙しいとは思ったんですけれど、ばあちゃん(母のこと)が娘さんの声を聞きたいって言うもんだから・・・。」と。ちょうどその頃のわたしは選挙が佳境に入り、朝から晩まで休みなく動いていた時期で、母の所に2週間以上も顔を出していない時でした。寂しがっている母を見かねて、思い切って電話をしてくれたのでしょう。彼女の済まなそうな声を聞いて、私の方こそ済まない気持ちで一杯になりました。そして日頃、家族に代って母の世話をしてくれ、心配してくれている彼女に心から感謝しました。彼女たちの存在が、高齢者医療の質を下支えしているとわたしは思います。
母が要介護になってから3年が過ぎようとしています。この3年間、わたしの介護は、いかにして家族として「手抜きの介護」をするかという試行錯誤の連続でした。一人娘のわたしに対して、なぜ母と同居しないのか、もっと自ら世話をすべきじゃないのかといった批判が寄せられ、プレッシャーを感じたことも一度や二度ではありませんでした。けれども、わたしは「手抜きの介護」を続けてきました。
介護は家族、特に多くは女性に負担がかかってきます。自らの手で手厚い介護をすれば、良い妻、良い嫁、良い娘として評価されます。しかし、妻にも嫁にも娘にも自分の人生があるのです。社会的制度を十分に使って、介護を家族だけで抱え込まず、なるべく負担の少ない介護=「手抜きの介護」をしていくことが、高齢社会を楽しく乗り切るコツだとわたしは思っています。わたしはこれからも色々な人の手を借りて「手抜きの介護」をしながら、母の介護と向き合っていきたいと思っています。
最後に、短い間でしたが拙い文をお読み頂いて、ほんとうにありがとうございました。